るのは、何かの因縁かもしれないから、見てもらったほうがいい」と言われ、私は何をどう見てもらうのかわからないまま、勧められて神道系の宗教団体に連れられ、そこで私の家の因縁や人の道について教わりました。私の実家は、浄土真宗の檀家で、子供の頃から、祖父母と同居していたため、日常生活の中で、仏壇前でお経を上げ、祈るという習慣が身についていました。そのため、神仏に手を合わせることや、信仰することにも、抵抗はありませんでした。 しばらくして、私は父を亡くしました。喪中はお寺に行くのが良いと、先の宗教団体で知り合った人から、真言宗のお寺に連れられ、また別の人からは日蓮宗のお寺に連れられたりと、仏縁が続きました。そのどちらのお寺にも、修行を積まれたお坊さんがいて、そこで「因いん縁ねん」や「因いん果が応おう報ほうの理ことわり」について教えを受けました。どういうわけか、どちらのお寺のお坊さんにも気に入られ、いつもお坊さんから直接私自身の因縁についても聞かされ、行動指針を頂いていました。これらのお寺で教えを受けたことがきっかけとなり、それ以来、仏教が私の思考の中に入っていったのです。 これまでの私の人生経験を振り返りますと、「因縁」や「因果応報の理」を肯定せざるを得ないことが、次々と起こりました。また、それを肯定することで、自分の中の疑
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